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姐御−グッピー

Author:姐御−グッピー
どうも世間の障害者というククリからは、はみだしてしまう。
イジメも差別も笑いに変える、そんな経験を綴りながら、ど〜してこんな自分が出来上がったのか? 探ってみたくなりました。

はたして、何が見えてきますかねぇ。(笑)

2008.4.20 start..

写真を変えました。
オホーツク海です。
(本文とは関係ない!?) (^^;;)

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車の運転免許

車の免許を取得したのは、21歳の時。

当時付き合っていた?男友だちに
「将来、役に立つから取っておけ!」
と半ば、命令されて・・・・・・・(笑)

いや、機械ものは大好きで車の運転はしたかったので、後押しされたのでございます。


父は、私のことを箱に入れたがっていたので、母だけにこの計画を話しました。
ハンディ持ちが免許を取る場合、自立支援のいうことで行政から少し補助があったので、申請方法など調べました。

ハンディ持ちが免許を取るには、ステップがあります。

1.通う教習所に行き、受け入れてもらえるかを聞く。
2.運転免許センターに行き、運動能力判定を受ける。
3.教習所で訓練
4.免許交付
5.補助の申請

この2番目でOKがでないと免許は取れません。
ハンディ持ちの専門の教習所もありますが、泊まりこみの集中特訓方式でございます。。

受け入れてくださった教習所は、○ッサンの直営のところだったので、ハンディ持ち用の改造車両も2〜3台配備されていました。

私は普通のAT車で良いとの判定を受けました。


男になりたかったとか、理化学大好きとか、機械いじりやハンダ付けなどやっていたから?

運転できる嬉しさでルンルンしていました。


元が素直すぎるからでしょうか?
教習本に書いてある通りに運転を心掛けておりました。

ある日、車を停止線や駐車位置に正しく止める練習の時、教官がボソッと
教 「ど〜して、そう正確に止めるかな〜〜〜?」
あ 「え! 止めるんじゃないの!!」
教 「いいんだよ。止められるのは。。。
   でも、出来る人、あまりいないんだよ。」
あ 「・・・・・・・・・・・・・」 そ〜言われてもなぁ〜〜

おかげさまで今でも、車両感覚はあるようでございます。

自家用車で最も遠くに行ったのは、東京〜能登半島一周。
都心もスイスイと行ってしまいます。
もはや特技の一つ!!


余談ですが、同じ時期にもう一人ハンディ持ちの方がおられました。
私より入校が早く、第二段階の後半をされていました。
直接お話しはしませんでしたが、会えば会釈をしていました。

ところが身体的にも状態がよかった私が教習課程で彼女に追いつき、追い越しちゃいました。
すると、会釈していたのが “フンッ!!” というような態度に変わってしまったのでございます。
そうされた時は、たいへんショックでした。


しかし、自分はそのような態度にならないように気をつけて、自分がイヤだと思う態度は、相手にしないように、心がけようと思ったのでございます。。


ど〜なるやら?

今日は、現在のことでございます。

実は、今日婦人科子宮検診の結果発表の日でした。
今回は、なんだか予感めいたものがあったのでございます。

病名は、子宮内膜増殖症の複雑型異型だそうです。
ガン化は、30%の可能性だそうです。

2006年秋にも異型があったということなので、今回検査入院をするコトになりました。


産婦人科医師が不足という報道がされていて社会問題となっていますが、私の行っている病院は、6人くらいおられます。

今日結果を聞き、2週間後の検査入院を即答で決めちゃいました。

疑わしければ、白黒ハッキリつけて、いらないものは削除しちゃえ〜〜!!
って、パソコンデータじゃナイ??  

検査入院は、麻酔かけて手術だそうで、私はいろいろ身体的に考慮事項があるから、質問シマクリ、
提案しちゃって・・・・・・・、先生タジタジでした。

あ 「え?そんなにオオゴトなんですか??」
先 「はい、増殖内膜を全部削るかたちで、検査しますから・・・」
あ 「私、中心性頚椎損傷の既往があるので、整形医師から全身麻酔はリスクありと言われてます。ここの病院ですから、わかると思います。」
先 「整形に依頼しておきますから、来週整形に行ってくださいね。」
あ 「わかりました。」

あ 「抗生剤アレルギーは、ど〜したもんですかね?」
先 「ん〜〜、困ったな。。手術だしね。ど〜しよか。」ほんとにねぇ。
あ 「抗アレルギー薬の併用は、有りですか?」
先 「有りだけど〜〜〜」  今日は結論がでませんでした。 

この後、入院前検査ということで、検査室4部屋巡り。
☆血液  ☆尿  ☆心電図  ☆肺活量  ☆胸部レントゲン

疲れちゃいました〜〜〜。

婦人科で私の前に診察室に入った女性に、検査室で再会。
同じ出来事が起こったのかな〜〜〜。

どよ〜〜んとした雰囲気だったなぁ。
ちょっと心配。。。他人さまを心配してる場合じゃナイか。

病院を出るときに、夫と母に報告。

夫は、「わかりました。・・・・・とちょびっと、どよ〜〜ん
母は、「そうなの? 何でもナイことを祈ってるわ。」と普通な反応
父の突発発症入院事件の多発で、もう慣れっこ?はぁ〜、またか!ってなもんでしょうな。


ちょっと、ドキドキな人生展開ですが、果たしてどう転びますやら??

検査入院は、2週間後でございます。。

自分のことだからね。

20歳になった時、福祉事務所から連絡があって、地域の相談員が面接にやってきました。

今思い返すと、「かわいそうなこと・・・・・したかな。」 と。


かなり意気込んでその方は、やってきました。

私は自分が福祉科の現役学生であり、自分のことは自分でという親の意向もあり、公的な援助や福祉サービスは、この時すべて把握済みでした。


相談員サンは、意気揚々と説明を始めましたが、その説明の仕方がちょっとこちらを見下すような部分を感じてしまったのでございます。


このような態度は許しておけませんなぁ〜〜と。。

相 「○○手当があって〜」
あ 「月 ○○円ですね。」
相 「医療○○助成は〜」
あ 「○○を持って、行けばいいですね。」

というように、相談員さんが説明しようとするものがわかると、私が中身を答えてしまい〜、相談員サンは目をパチクリ!!

相 「よくご存じで・・・・・・・」
あ 「ハイ、自分のことですから。。」

相談員さんは、そそくさとお帰りになったのでございます。。


母 「もう少し、話させてあげたらよかったのにぃ〜。
   びっくりしてたじゃないの。かわいそうに〜〜」


ちょっと、ショック与えたかもと思い起こすのでございます。

男になりたい

小学生のとき、結構マジに考えていたのです。


   男になりたい・・・・・
   なぜ女なんだろー?



色の好みも、暖色系(赤系)より、寒色系(青系)
衣服の好みも、スカートよりズボン
遊びも、ままごとよりも理科の実験してたし。。
友だちも女性より、男性の方が楽でした。

現実に特別支援校の先輩になついていた方も、すべて男性!!
女性には、見向きもしていなかったのでございます。

スポーツもサッカー、野球大好きでした。

性同一性違和感だったのかしら?


中学生になって、女性であると意識する身体の変化とともに、その気持ちは薄れていきました。

会社時代は、スカートしか履きませんでしたので、退職後に社の友人とズボン姿で会うと、
「違和感だぁ〜」  って言われたのでございます。


私のなかの不思議の一つでございますぅ〜〜〜。

さんすうの修行

カテゴリは、母のスパルタですが、今日は父のスパルタ話でございます。


一・十・百・千・万・・・・・・
数の単位、どこまで言えますか?

一・十・百・千・万・億・兆・京(けい)・垓(がい)・徐(じょ)・穰(じょう)・溝(こう)・澗(かん)・
正(せい)・載(さい)・極(ごく)・
恒河沙(ごうがしゃ)・阿僧祇(あそうぎ)・那由他(なゆた)・不可思議(ふかしぎ)・無量大数(むりょうたいすう)


21種類の数の単位と算数の九九の表が、家の6畳間壁面に描かれていたのでございます。

父がカラーマジックペンを駆使しつつ、模造紙いっぱいに書き上げてくれたのでしょう。
おかげを持ちまして、いまでもこの21単位はスラスラと、お口からでるのでございます。


父は、算数は大嫌いだそうですが、娘には大好きになってほしかったのでしょうか?

中学生くらいになったとき父が、
「小さい単位も覚えさせるんだった!失敗した!」
と言い放ちました。

「自分が覚えたら?」と私の心の声。。。

このスパルタのせいではナイでしょうけど、私は理数系大好きです。



この話題は、意外なモノから思い出しました!!
先日、親戚の法事でお坊さんから南無妙法蓮華経の題目を一緒に唱えましょうと言われ、仏教本?を見ていたら(唱えませんでした。)、阿僧祇・那由他の文字があり、記憶が呼び覚まされたのでございます。


この単位の由来は、中国にあるらしいです。。
(雑学です。失礼いたしました・・・・・・

医師に会うたび

たしか・・・・・

高校生くらいから、一人で医者に行き始めたかしら。
行きつけの病院でも医師が交代しちゃうと、メンドークサイことになることがあったのでございます。

内科でも外科でもはじめましての医師だと、どーも不自由な身体に目がいくようなのでございます。

医 「その身体は、チック病?」  はぁ〜〜? 違うんだケドぉ〜〜
あ 「いえ、脳性小児マヒです。」  
このあと、病歴を喋ること5〜10分。で、終わればラッキー!!
場合によったら、脳性マヒ自体を説明する時もあるなぁ〜。

医 「そーですか。で、今日はどうしましたか?」  
ふぅ、やっと本題に入るぅ〜〜


最近は少なくなりましたが、こういう医師との会話を数えきれないくらいやりました。


おかげで、我が脳性マヒはについては一度は専門書も読んでしまったのでございます。

新しい医師と出会うたび、また説明せにゃいかんのか??と、今でも少しはドキドキなのでございます〜〜〜〜。


トゥレット(チック)症候群:
トゥレット症候群は,チックとして知られている、突然出現し繰り返す素早い動き(運動チック:まだたき・肩のふるえ・顔面ケイレン等)と音や声(音声チック:しゃっくり・奇声等)とを主な症状とする小児期に発症し、慢性に経過する神経の病気です。

心は、ダイヤモンド?

キズつけてもキズつかない、心は、ダイヤモンド

という歌がありましたが、イジメられたコトは数々あれど、あまり恨み心はナイんです。
不思議です・・・・・・・・。

持って生まれた性格?

これも特技でしょうか?(笑)

つわもの現る!!

会社では、こき使う上司に巡り会いまして、入社5年めくらいから地方営業に出していただきました。
この上司はまったく偏見感がありませんでした。ずーっと後でわかったことですが、カトリックの信仰をお持ちで、「なるほど〜〜」って思ったのでございます。

ハンディ持ちにとって地方顧客営業は、異例の扱い?だったと思います。
営業部門への配属も異例だったのに、地方のしかも顧客先に出していただけるとは、私としても身の引き締まる思いでした。

これも入社面接の45分の影響だったのでしょうか?

私は東京生まれの東京育ちですから、うれしくもありドキドキ感たっぷりのキンチョーしながら 行きました。

現地で出会ったのは、差別観でございます。

地方デビューは、九州熊本でした。

ひとりで行った時のこと。
現地の顧客会社に着いて警備員さんに名乗ると、意外な言葉で止められました。

警 「ほんとうに○○社の人?」
あ 「はい、そうです。」
警 「障がい者が社員になれるわけがない!!!」
あ 「え〜〜!あの〜社員証ありますが・・・」 と見せても・・・・・
警 「偽物じゃないの?」  そこまでも疑うかぁ〜〜?

と、スッタモンダをして、

あ 「あ! この中に同僚の課長がいるから、呼んでください。」

これで、やっと入館することができました。
そののち、何かクレーム?のようなものが顧客から入ったようでしたが、課長がうまく話をしてくださったようでございます。


ハンディ持ちが健常者と一緒に働くということが、まだまだ知られていない・・・・・
東京を離れて新たな土地に行き、初めて知る実態に戸惑うこともありました。

私が行くことにより、東京ではこんな人がいるんだということを知ってもらって、障がい者への理解を少しでもしてもらえたならよかったかな・・・・・と思っています。

やさしくして・・・・・

母との会話:

母 「あんた、覚えてる?
   私に 『パパにするみたいに優しくして・・・・・』って懇願したこと。」
あ 「へぇ? そんなこと言ったんだぁ。」
母 「そうよ! パパするみたいに・・と来たもんだ!!」
あ 「あはっはっは〜〜〜、お腹苦し〜〜〜ぃ。」
母 「言われてショックだったんだから〜〜〜、
   これ以上優しく出来ナイって・・・・・」

子どもは、良く見ているものでございます。

『パパにするみたいに・・・・・』

まったく記憶がありませぬ。

そんなに、ラブラブを見ていたのかっ!!!!!    



きっと、訓練とか病院通いとか結構忙しく、出かけるために「早く〜」とか「やりなさい〜」という言葉が多かったんじゃないかな。
「一生懸命やってるのにぃ〜〜」と思っていたんだろーなぁ。

母のスパルタの思わぬ後遺症?だったのでございます。。。


山中湖キャンプ

小学生の時、初めて親元を一週間離れました。

夏の山中湖キャンプです。
「手足の不自由なこどものキャンプ」っていう
まんまのキャンプです。(笑)

大学生のボランティアさんと一緒にいろいろなことをする、体験型のキャンプです。

一週間という小学生には、ちょっと長い期間。
ルームメイトにずーっと泣き続ける子がいて、びっくり!!!
「親が恋しいのね。でも一週間泣き続けなくても・・・・・」
と冷めた感情に気がついたりも、いたしたのでございます。


3回キャンプに参加したのですが、忘れられない事件があるのでございます。


☆カチカチ山事件

運動会が開かれ走っていた時です。
コケそうになり、踏ん張って転ぶのはまぬかれましたが、腰のスジを痛めたのです。
小学生のギックリ腰?!

救護室に行き、当時インターンの小児科医師のEさん、当時使用し始めの貼る温湿布ってヤツを貼ってくれました。
この温湿布、時間が経つにつれて、温かいから熱っついになり、また救護室に!!

湿布を剥がすとうっすら赤くなってる!!

E 「あ〜〜ぁ、」
あ 「・・・・・・・」 あ〜〜ぁって、このセンセイ大丈夫なのかぁ?

このあとの記憶は・・・・・・たしか自然治癒を選択。。

このセンセイ、今は立派な開業医師でございます。



このキャンプでは、夜に部屋担当スタッフもミーティングでいなかったので、それがちょっと嫌で、別のキャンプに行くようになりました。

ソレが自分がスタッフにまで、なっていってしまったキャンプなのでございます。


キャンプにも、相性ってあるのでございますね〜〜〜。

私は、何歳?

乳幼児の時から、親以外の大人(医師・訓練士・看護師・ボランティア等)に多く接していたせいか、人見知りを知らずに成長いたしました。

 → 

お友だちになる方の年齢は、様々に・・・・・・
長老では94歳?
若手は、2歳からいるのでございます。


会社に勤務していたとき、結婚の一連儀式が終わって出社すると課長が手招き をするので、何事かと思って近くに行くと

課 「あなたって、不思議な人だぁ〜〜〜」
あ 「はて? 何のコトでしょ〜〜か?」
課 「土日は、何してるの?」
あ 「はて? 普通ですが? お休みしてるし〜。 ナニカ?」
課 「披露宴に来ていた人たちって、あなたのお知り合いが
   多かったケド、年代が様々で男性も結構いたし、
   こんな年代様々な結婚式、初めて出席したよ。」
あ 「はぁ〜、そうですか。。。。。。。。。。。。」


初めて会うときも、私はあまり何も考えないで、まずお会いしてみます。
オープンマインドで接します。

気が合えば、楽しくお話することができますし、
そーでない時はそれなりに・・・・・・

たしかに、幼馴染にも 

「どーしてどんな人でも、しゃべれるの?」  
と聞かれますから、普通ではナイんですね。(笑) 

お気に入り

知的ハンディ児のキャンプでのこと。

知的ハンディの子どものなかには、お外が大好きな子がいます。
でも、すぐ海に出られる環境では、「ご自由にどうぞ。」という訳にはいかず、外に監視員が数か所立っておりました。

私も、キャンプ初日、麦わら帽子をかぶって、炎天下待ち伏せておりました。

ソコへやってきました、男の子。
意外と素早しっこく、えいっやっと抱き止めたのでございます。

アッチへ行かせろとばかりに暴れますので、ちょいと歌など歌ってみたのでございます。


南の島の大王は その名も偉大なハメハメハ
ロマンチックな王様で 風のすべてが彼の歌 星のすべてが彼の夢
ハメハメハ ハメハメハ  ハメハメハメハメハ

南の島の大王は 女王の名前もハメハメハ
とてもやさしい奥さんで 朝日の後で起きてきて 夕日の前に寝てしまう
ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハメハ

南の島の大王は 子どもの名前もハメハメハ
学校ぎらいの子どもらで 風がふいたら遅刻して 雨がふったらお休みで
ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハメハ

南の島に住む人は 誰でも名前がハメハメハ
おぼえやすいがややこしい 会う人会う人ハメハメハ 誰でも誰でもハメハメハ
ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハメハ



その歌が、彼の心のツボを捕えてしまったのでございます。


それから彼は3泊4日、私の姿を見付けるや、ピトッとくっ付き離れない・・・・・・・・
飯盒炊飯もキャンプファイヤーの時も、一緒にいたのでございます。
自分の班へ帰すのですが、すぐ戻ってくるのです。
班のお友だちに 「お母さんと思ってるんじゃない?」といわれる始末。
一緒にスタッフのお仕事をしていました。(笑)


班のスタッフには、「居所がわかってるから、ありがたい。」とも言われてました。
まあ、確かに危険ではないよね?(笑)


こんなに好かれてしまったのは、後にも先にもこれだけですが、楽しい思い出でとっても心が温まってしまうのでございます。

この季節になると・・・・・

この季節になると・・・・・思い出します。^^
青春の海〜〜


青い海に集まって〜
みんなで作るこのキャンプ
みんな仲間だ、仲良しだ
楽しい保田の海〜〜
ららら、みんな仲間だ、仲良しだ
楽しい保田の海〜〜


中2の夏にハマったキャンプのテーマソングです。
そう、ボランティアする側へ、福祉学科へのきっかけになったキャンプです。

もちろん、健常者の中にハンディ持ちは、ただ一人!!
それは、覚悟の上。
自分がどれだけできるのか?
足でまといにならずに、なにか役立つのか?
不安と期待を胸いっぱいに、夏を迎えました。
今から30年くらい前のことでございます。。

そのキャンプは、2泊3日、もしくは3泊4日で児童養護施設、母子寮、交通遺児の健常児対象と知的ハンディ、身体ハンディ、視覚+知的ハンディとそれぞれに行っていたのです。
期間は、準備と本番と撤退で、まるまる2か月を海にて活動いたします。
ですから、70名余のボランティアスタッフは、交替で複数キャンプをこなすのでございまっす。


健常児のキャンプでのこと。
海水浴の定点監視で、うっかりちょっと深いところに立ってしまいました。
監視する側が溺れちゃ、シャレにならない・・・・・・って、溺れかけました。

目ざとい先輩がしっかり見ていたのでございました。
プログラム終了後にしっかり怒られました。
せ 「自分のコト、わかってる?」
あ 「・・・・・」  深く反省・・返す言葉もございません。。
せ 「何かあったら、助ける立場なんだからね!!」 
あ  「ハイ・・・わかります・・・・・」  シュン



それ以後は、手に負える位置を確保すべく、早め早めの行動をこころがけました。

キャンプでのお仕事は、もっぱら洗濯室と物干し場の往復。
これも、ハンディ持ちのキャンプでは重要なポジッション!!
麦茶、遠泳の甘い紅茶作りなど、裏方作業をコツコツといたしたのでございます。


時にはキツ〜〜イでも愛情のある言葉を先輩からいただき、暖かいフォローを後輩もしてくれまして、
ひと夏を過ごしたのでございます。

普通なんですよ。^^

よく言われる言葉がございます。


☆頑張ってるね。
☆明るいね。
☆エライね〜。
☆素直だね。
☆楽しそうだね。


これらの言葉の前には、「ハンディ持ちなのにぃ〜〜」というのが付くのでございます。



ということは???

ハンディ持ちだと、
★頑張らない
★暗い
★ナマケモノ
★ひねくれ
★楽しんじゃいけない

のでしょうか〜〜??  (笑) と 
ツッコミたくなるじゃぁ〜あ〜りませんか〜〜〜!
実際は、ツッコミ はしませんケド〜〜〜ね。


確かに世間では、ハンディ持ちのイメージはそのようなものでございますものね。
しかたがありませんね。。。。

私は、一人でホイホイと出歩くので、言われる頻度が高いのでしょうなぁ。

決まってる私の答えは、

「普通ですよ。」
「ちょっと工夫するくらいなんですよ。」
「たいしたコト、してませんてば。」    とお返ししております。


毎日 「あ゛〜〜大変〜〜。。。」って生きていたら、身が持たないのでございまするぅ。。

いいけどぉ〜〜^^

福祉学科勉強したからではないけれど、子ども相手に遊ぶ会があって毎週会う子どもたちがいました。

最初に出会った時は、こっちがハンディ持ちというコトに子どもたちがビビるのでございます。
私も多少はビビりますがもう慣れっこで、相手がビビっていようとも平気に普通に話しかけちゃったりして〜〜〜

子どもは、オヨヨッ??  となるけれど、またソレを楽しんだりの悪いヤツでございますぅ〜〜。

もうお互いに慣れっこになった頃、座っていた私の背中を駆け上がり、肩を踏み台に“やーっ!”って、飛び降りたのでございます。

イキナリの出来事にボーゼンとしていると、またタタタッと駆けてくるではないですか!!


「こっちの骨が折れるよっ!!」って、は〜びっくりだぁ〜〜!!


子どもは何をいきなりし始めるか、わからない・・・・・・・・・・・




べつのある日、私は工作をしていたら手をカッターで切ってしまったのです。

すると、女の子とこんな会話を・・・・・・・・。

子 「あ、先生、切っちゃったんだね。手を高くあげると、血〜止まるよ。」
あ 「私、手が上げられないよ〜〜。え〜ん。
子 「そーだった、そーだったね。」 と手を引っ張り上げてくれたのでございます。

子どもたちは、慣れっこになってしまうと私の不自由さなんて、ヘノカッパ!! すっかり忘却の彼方なのねぇ〜〜〜!!  (笑)



私自身がハンディのコトをまったく気にしなければ、相手もぜんぜん気にならなくなるということが、わかってきた時代でございます。

何していた?

小学校の1〜2年生の記憶がありません。。

このブログを書き出して、かなり思い出したものもございますが、しかし、いっこうに思い出さないこの年代!!

おもしろいコトがなかったのか?
事件もなく、平穏だったのか?
寝ていたのか?
子どもなりに学校に行かれて、ほっとしていたのか?



結局のところ、


 ヌボォ〜〜〜〜!


としていただけだったので、ございますな。

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