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姐御−グッピー

Author:姐御−グッピー
どうも世間の障害者というククリからは、はみだしてしまう。
イジメも差別も笑いに変える、そんな経験を綴りながら、ど〜してこんな自分が出来上がったのか? 探ってみたくなりました。

はたして、何が見えてきますかねぇ。(笑)

2008.4.20 start..

写真を変えました。
オホーツク海です。
(本文とは関係ない!?) (^^;;)

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欧米的は父の影響

考え方が欧米的なのは、父の影響なのでございます。

父は、子ども時代が戦争中で日本的な考えがイヤになり、自分の子どもには外国もので育てようと思っていたというフシがありました。

父の職業はマンガ家だったわけですが、日本のマンガはテレビでも見せてもらえずにおりました。
ですから、大きくなって友だちとの話題に支障がありました。
何を見ていたかというと “FLEX CAT”,“SNOOPY”,ディズニーを見ていたのです。

そういう外国ものは神さまが頻繁に登場するので、中学で出会った日曜学校には全然違和感がありませんでした。


父にはよく映画に連れて行ってもらいました。それもミュージカルばかり。。。
サウンドオブミュージック、5つの銅貨など、

その後、初めてチャップリンの映画に行った時、私の反応に父は固まったそうでございます。

「この映画、いつ歌うの?」 と言ったそうです。

私の頭では、映画 = 歌うもの  ということになっていたのでございますな。

カッコ悪い〜〜

幼児だったある日(5歳か6歳の頃?)、足の膝から下の訓練用の靴を履き出した頃のこと。

訓練用の靴と言うのは、足を変形させないためと歩くときに正しい足首の動きを足にさせるためのものなのです。

ただ履いているだけでは、少し歩けるようになっていた私にはもったいない!!
たぶんPT(理学療法士)に、「なるべく歩くように!」と命令があったにちがいないんです。

母に玄関で訓練靴を履かされ、いざお出かけっ!と手を引くが、私はうごかない・・・・・

母 「アレ?  どした?」
あ 「・・・・・・・・・・・・・・」
母 「なにしてんの?」
あ 「カッコ悪い・・・・・・・・・。 行かない〜〜〜。 んぎゃ〜〜
となったのでした。。。


やはり、他の子どもたちが履いているものと比べれば、明らかに違うし、見た目がゴッツイ!!
おしゃれ心を芽生えだしていたのかっ!?


それでも母は、私を外へ引っ張り出しまして療育センターへの連れて行かれたのでした。

私といえば、もう母には無駄な抵抗なのだ、逆らえないという意識が刷りこまれまして、現在に至っておりまする。

出生のひ・み・つ?

妊娠35週でこの世に飛び出してしまった 
私は、かなりの慌てもの
早産になった理由を考えても、母には思い当たらないそうで、、、、

「あんたが勝手に出てきちゃったんだから・・・・・」 と
「わ、私が悪い?のか。。。。」

なぜ?  と問われましても、困るんですぅ〜〜〜。


急な産気づきの事態に父は、近所の自転車を拝借して、
産婆さんへ急行
拝借って?それって、ドロボー??

自宅で生まれちゃいましたぁ〜〜。
2160gの未熟児。

ちょっと多めの布団とともに、やなぎこおりに入れられたらしいです。
やなぎこおりって、知ってます?
竹かごのでっかいハコです。
柳行李


現在の医療なら手厚い医療の対象だったはず・・・なのに、
当時自宅では、何もナシ!!
出生直後の検査も当然ナシ。

てなわけで、 私のハンディは見過ごされることとなったのです。

首の据わりは正常で、またまたハンディ発見はスルーされてしまったのです。

ようやく、「変だよ??この子。」と気付くのは、祖母でした。
いとこが1ヵ月違いで生まれていたので、祖母が微妙に筋緊張する私に気がついたのです。

お手柄!お手柄!! オバーチャン!!!


1歳前後に歩けなかったということをきっかけに、病院巡りが始まったそうで
やっと、【脳性小児まひ:付随運動型】の診断がついたのは、
1歳3か月のときだったそうでございます。。


気持ちとウラハラ

父の登場です。
父は、漫画家の夢を秘めて母と社内結婚しましたぁ。(←バラしていいんか?!

私が3歳の時、何の相談もなくイキナリ

「会社、辞めたから・・・・・・・・・・」  と。

母は、爆発に打たれるごとくビックリして、しばらく夫婦の会話は途切れたのでした。
ハンディ持ちを抱え、何を考えているんだっ!と、その後、夫婦でのイザコザの度にこの件を持ち出され、小さくなるなのでした。
は、会社とのコマーシャル契約をして辞めたことが、あとで判りまして生活困窮はまぬかれたのです!!

そのが娘かわいさにお土産を買って帰ってきてくれるようになったんです。

「はい、どーぞ。」との手に渡そうとするのですが・・・・・・・・・の手は・・・・・・・背中の方?後ろにいってしまうぅぅぅ・・・・・

憎き付随運動よ!!
気持ちとは裏腹で、逆に身体が動いちゃうのです。

は、わかっているんでしょうけどその手の動きが悲しくて、お土産を買ってこなくなっちゃったのです。

この事象は、現在もたま〜にあるときが・・・・・・・・・ 
かなりコントロールが可能となってますがね。

よ。ごめんよぉ〜〜〜〜〜。。
のお土産がイヤイヤだったわけじゃナイのよぉ〜〜〜。。



今さら、遅い??

手を鍛えるだけじゃナイ?!

幼児の時、療育センター(身体の不自由な人たちが医療・リハビリを受ける施設)に母子で3か月入院して、リハビリの方法・補助を学びました。

母は、「家でもリハビリを継続しないと悪くなるよ。」と脅されたのか?(笑)

退院してからもいろいろ道具を作り出し、私に一日中触らせていたものがありました。


それは、砂袋!!!
しかも、100g、200g、500g、1kg、2kgと様々な重さがありました。

記憶が鮮明に残っているのは、100gの物。
バナナのような形で、よく口に持っていったようです。

ダメ!ダメ!!と言われた記憶があります。



その砂袋でリハビリをしていたおかげ?で、主婦をやっている今、とっても役に立っていることがあるんですよ。
それは、手が秤になっていることです。

スーパーで買ってきたお肉とかを小分けにするとき、均等に分けられるんです。
秤ではかると見事に同じくらいになっているんです。


リハビリは、手を鍛えるだけじゃなかった!!
でも、こんなコトに役立つとは、あの頃には、想像もしなかったんだろーなぁ。。

リハビリ効果は、意外なところに・・・・・・・・・・・・・でましたね。(笑)



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