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姐御−グッピー

Author:姐御−グッピー
どうも世間の障害者というククリからは、はみだしてしまう。
イジメも差別も笑いに変える、そんな経験を綴りながら、ど〜してこんな自分が出来上がったのか? 探ってみたくなりました。

はたして、何が見えてきますかねぇ。(笑)

2008.4.20 start..

写真を変えました。
オホーツク海です。
(本文とは関係ない!?) (^^;;)

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爆発ッ!! ボン!!

中学の3年生になりまして、始業式に大ショック!! が ございました。
この大ショック!! は、生涯一のもの。
これ以上の大ショック!! には、まだであったコトないですわ。

それは、
担任の先生が3年間同じ!! 
だったのです。

もぅ〜〜〜〜、泣きたい。
これは、最大のイジメだわ。   
 
と落ち込みました。


どよ〜〜〜んとした気持ちで始まった3年生。
修学旅行がありました。
イジメで浮がちの私。
なんとかクラスの班の一つに入れてもらい、班での修学旅行についての学習発表で班代表として発表することとなりました。
これも、イジメの流れだったかは、記憶は薄れました。
学習発表の内容も、記憶は薄れました。

ですがキョーレツに記憶に残る出来事が、この時起こったのです。


緊張しながらも、学習発表した私。
最後のお決まりのセリフ:  「何か質問はありますか?」
その時です。後ろの席の男子が
 「おまえの言ってること、よくわかんなかったよ。もう1回、初めからやりなおせよ!」 
と言いました。

私は、担任が何かするのかなぁと顔をみたのですが、担任は知らん顔。。
心の中で、「無視かよっ!」 と。。。。。。。

次の瞬間、私の中で  プチッ!!  と切れました。

「聞いていなかった、あんたが悪いんだっ!!! 
もう1回やる必要はナイ!!!」

と言い放って、席についてしまいました。
授業のそのあとの記憶がナイ!!(笑)
ナイってことは、何事もなかったように淡々と授業が進んだんだと思います。


しか〜し、休み時間になると、クラスの雰囲気に異変が!!
イジメする雰囲気が、ピタッ!  と無くなったのです。

給食は、運んでくださるし、掃除も一緒にやってくれるし、180度クラスの態度が変わったのです。


いったい今までのイジメはなんだったんだ?と思うほど、変わりました。
それは、学年全体に広がっていきました。
私が怒鳴るなど、きっと大ニュースで誰も想像しなかったコトだったんでしょうなぁ。

「なぁ〜んだ、怒ればよかったのか! もっと早く怒るんだった。」 と思ったのでした。

残りの中学生活は、イジメのストレスから解放されました。
でも、友情はあまり築けませんでしたが、ふたりの友人とは30年超の付き合いになっています。



この経験でイジメについては、コワイものなしになりました。。

ボロボロッからの脱出!!

ボロボロッになった中学校でのイジメは、人生初めての試練!! (大袈裟か!?

イジメの内容は、
・へ〜んな歩き方〜〜。 と言われるし
・へった〜な絵書いてる〜〜。 とも言われて、
・所持品を隠される。
・私の触ったものを避ける。
・無視。
という具合でした。

不思議とイジメる相手への恨みの気持ちは、薄かったように思います。
ただただ、その行為だけがイヤでした。
そして、「イジメる子にも何か抱えてるものがあるんじゃないか?」という考えがあったと思います。
ど〜して、そのような考えがあったかは、よくわからないんです。

不登校になって母は悠然と、行けるようになったら行けばいいと言ってくれたので、救いでした。


クラスメートの中にやさしい女の子がいて、1年生の2学期jから学校に行けなくなった私をまで訪ねてくれました。
そして、「の日曜学校に一緒に行こう」 と誘ってくれたのです。

その日曜学校には、結構同窓生が通っていたのです。
6〜7人はいたでしょうか?
日曜学校では、もちろんイジメはありません。
中学は休んでいても、日曜学校は休まず通ってました。
ここで、少しづつ人間関係の築き方を学ぶことができて、中学にも戻れる気持が芽生えてきたのでした。

2年生の2学期から、中学に毎日通うことができるようになりました。
しかしながら、中学の同窓生は420人もいたので、日曜学校のメンバーと同じクラスになるのは難しかった!?
学校でのイジメの環境は、クラス替えがあったにも関わらず、1年生のときとあまり変化はありませんでした。


ただ違っていたのは、ボロッボロッから脱出し、少しピッとしたデニム生地くらいになっていたコトでした。


その後、修学旅行準備事件があって、デニムからもう少し高級生地へと移行するのです。(笑)

イジメは必然?

養護学校の10人クラスから、居住学区の地域中学へと進学しました。
それも、本人に承諾ナシ!!
親(主に母(笑))が決めました!  
父は、ヌボォ〜ってしてた?かも!

中学校という洗濯機に放りこまれて、アップアップしたのは言うまでもナイ!!

マンモス中学校で1学年8〜10組までありました。
クラスメートは、42人。
同窓生420人。
ハンディ持ちは、我ひとり

当然、目立ちますがな〜〜〜〜〜〜〜〜〜

必然も必然というように、クラス自己紹介直後から、イジメの洗礼が始まりました。


なにせ、ヌボォ〜が抜けきっていない・・・・・・

いわゆる健常者という方々とのタイマンの付き合いは、初体験の私。
相手も障害者という人種?との付き合いは、初体験のご様子。

初体験同士での探り合い??(笑)

私は、ど〜対処していいものか?わからなくてただただオロオロしていました。
 対  なのですから、 が当然不利に。(笑)

1学期の後半には体調を壊して、事実上の不登校となってしまいました。

養護学校という大事に手洗いされてた布が、いきなり洗濯機でガランガラン ウィンウィンと回されたのですから、当然ボロボロっ。。


そのボロボロっが、自ら学校に戻る日がくるのです。

ここでは、長くなるので後日に〜〜〜〜〜〜

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