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姐御−グッピー

Author:姐御−グッピー
どうも世間の障害者というククリからは、はみだしてしまう。
イジメも差別も笑いに変える、そんな経験を綴りながら、ど〜してこんな自分が出来上がったのか? 探ってみたくなりました。

はたして、何が見えてきますかねぇ。(笑)

2008.4.20 start..

写真を変えました。
オホーツク海です。
(本文とは関係ない!?) (^^;;)

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男になりたい

小学生のとき、結構マジに考えていたのです。


   男になりたい・・・・・
   なぜ女なんだろー?



色の好みも、暖色系(赤系)より、寒色系(青系)
衣服の好みも、スカートよりズボン
遊びも、ままごとよりも理科の実験してたし。。
友だちも女性より、男性の方が楽でした。

現実に特別支援校の先輩になついていた方も、すべて男性!!
女性には、見向きもしていなかったのでございます。

スポーツもサッカー、野球大好きでした。

性同一性違和感だったのかしら?


中学生になって、女性であると意識する身体の変化とともに、その気持ちは薄れていきました。

会社時代は、スカートしか履きませんでしたので、退職後に社の友人とズボン姿で会うと、
「違和感だぁ〜」  って言われたのでございます。


私のなかの不思議の一つでございますぅ〜〜〜。

何していた?

小学校の1〜2年生の記憶がありません。。

このブログを書き出して、かなり思い出したものもございますが、しかし、いっこうに思い出さないこの年代!!

おもしろいコトがなかったのか?
事件もなく、平穏だったのか?
寝ていたのか?
子どもなりに学校に行かれて、ほっとしていたのか?



結局のところ、


 ヌボォ〜〜〜〜!


としていただけだったので、ございますな。

はみ出しのキッカケ?

特別支援校では、スクールバスや学校行事などで、中学部や高等部との交流がございます。
社交性があった私は、結構兄さん、姉さんたちとお知り合い。。。
ん〜? 兄さんになついていた記憶しかナイ? かも〜〜 (笑)

ソレは、小学校6年生の時。
あるハンディ持ちが集まる休養ホーム(区立でリハビリや食事、宿泊ができる施設)での出来事でございます。

たしか図書室だったと思います。
本を読んでいると、急な大きな女性の声にビックリ したのでございます。

「あんたは、ここにいる人じゃナイのよ!
 出て行きなさい!!。」


言われている人を見ると、いつも学校でイジメられている兄さんでした。
イジメられている原因は、反応が遅い?から? という感じでした。
ソレは、その人のハンディの部分であり、なんともしがたいのです。

特別支援校の中でも、イジメは存在していました。
これが現実でございます。

その状況を見た私は、

すげ〜〜〜! 女王さまみたい。
でも、人のコト言えた義理じゃナイよ。
自分だってハンディ持ちだろ〜がよッ!!!
同じ痛みわからんのか?
何か変じゃ。。。。。。


と思い、そ〜〜〜っと図書室を抜け出しました。
ハンディ持ちがハンディ持ちをイジメているコトは、小学生にとってショックと同時に、私の心に何かイヤ〜〜〜なものが残ってしまったのでございます。

この違和感がまた、私に様々なことを考えるひとつの基礎と、ハンディ持ちの世界からはみ出すキッカケになっていったのでございます。

足技、尻技?

ちょっとエッチなタイトルで申し訳けございません。。


からだにマヒのある私は、自由に動けるようになったのは、6〜7歳くらいでした。
でも、手を本格的に使うようになったのは、11歳以降かな〜〜?

小さい頃、足の方が早く自由がきき、なおかつ力も付いてしまったため、足技が自然とでておりました。

足技とは、足でふすまや戸を開け閉めするのは、オチャノコサイサイさ!!
指を曲げて、物を取ってしまう〜〜。
器用で、身体不自由と言えるかな? (笑)
今でもティッシュをつまんだりしちゃいます。


なんとか手を使わせようと母は、私の足技を目にするにつけ、
「手でやりなさ〜〜〜〜〜い!!!!!!!」
と大きい声をだしておりました。

私といえば、しれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ
「だって、楽なんだも〜〜〜〜〜〜ん」 っと
言うこと聞かナイ。。。


家の中の移動は歩くのではなく、お尻を引きずっての移動方法をしておりました。
長い年月そうしていると、尻の皮が厚くなってしまいソレを見た母は、さすがに
   「コレは、いかんぞ!!!」   と短距離でも立って歩くようにと
父に相談し、唐突にダイニングセットを購入。
洋式な生活をしたのでございました。

学校での機能訓練も手や腕の力で前に進む、軍隊のジャングルをいくようなものを多くやらされた記憶があるのでございます。


ダイニングセットは、畳の部屋には不釣り合いで、なんとも子ども心に不思議な感じがしたものでございます。。。

さて、私の足技・尻技はコレでたしかに少なくなり、尻の皮も元にもどったのでございます。


昔取ったなんとか、今でも足技は充分に使えるのでございます。

母の苦悩

ハンディ持ちの親同士のお付き合いについては、いろいろあったようでございます。

ひとくちに脳性マヒという病名ですが、内容は千人、千色!! 
タイプも様々でございます。

我が夫も、同じ病名であるんですが、タイプは違いまして、お互いに
「どんなことで、手・足がこーなるの?」  と質問し合うのが現実の生活でござんす。

ですから、結婚してから夫にしてみれば、私ができないと思えるものをスイスイとやるのを見て、
へぇ〜〜〜〜!!と驚いてばかりだったのでございます。



母の話に戻りましょう。

小学校は、特別支援校の小学部。
良い面は、病院・訓練・その他、様々な情報の交換ができること。
現在のようにインターネットなんぞナイ時代、人の情報が一番でございました。
悪い面は、子どもの状態の比べっこが起きることがあったり、親同士の軋轢、差別・偏見があることです。

子ども心に嫌〜〜な感じを覚えているコトがあります。
それは、障がいのために大きな音を立てながら食事をする子がいました。
でも、それは状態を見れば理解できるコトですし、同じ学校にいるわけだから初めて見るわけでもない。
しかしある親子旅行の日、あるお母さんはその人親子が隣に座った途端、逃げるように離れて行ったのです。 

私は、悲しい気持ちになって、逃げたお母さんのことを嫌いになりました。


私は、子ども同士の付き合いに徹していましたが、時々母が 

「は〜〜、比べたって良くなるわけじゃナイのに〜〜」 とグチを吐いておりましたっけ。

時には、
「ハンディのあるお子さんを授かったのに、どーして、そんなに明るくしていられるの?」
とナント失礼な質問を受けるコトも、たびたびあって、

「頭が ぱぁ〜〜 なのでね。」
と煙に巻いておりました。



人と人とのお付き合いは、様々の考え・価値観がございます。
良い悪いは、一刀両断にはできませんが、お互いに認め合って、理解の努力があって、人間関係が成り立っていくと思っております。

これは、いつの世もどこの場所も不変のことでございますな。。。

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